モロッコ旅行

 モロッコ王国の人口は3008万人(2003年)、国土面積は44.6万ku(日本の約1.2倍 西サハラ除く)、人種はアラブ人(65%)ベルベル人(30%)、宗教はイスラム教スンニー派がほとんど。気候は大きく沿岸部、内陸部(アトラス山脈)、砂漠地帯の3つの地域に分けられる。地中海や大西洋に面した沿岸部は、地中海性気候で年間を通じて温暖で過ごしやすいようだ。アトラス山脈はモロッコ中央部を南西から東北走っている。モロッコはアフリカの中でヨーロッパにもっとも近い国である。      
 2006年4月13日から21日まで、サハラ砂漠とモロッコ王国9日間のツアーに参加。4月13日午後11時45分関西国際空港発カタール航空にてカタールのドーハ空港まで12時間。3時間後カサブランカ行きに乗換え出発。リビアのトリポリ(リビア)空港経由カサブランカのムハンマド5世空港には14日午後3時40分到着。(時差−9時間・実に25時間の長旅)。入国手続き(空港内の撮影は禁止)を終えて、専用バスに添乗員含む29名と現地ガイドのブッシュさん運転手2名によるモロッコ国内旅行が始まる。カサブランカから専用バスでマラケシュ(238キロ)に向かう。

        

     マラケシュ

 マラケシュはフェズに次いで2番目に旧い街。1070年ころ、ベルベル人による最初のイスラム国家、ムラービト朝が都と定めた。世界遺産に登録されたマレケシュ旧市街(メディナ)には、アグノウ門、バヒーヤ宮殿、クトウビアのミナレット(尖塔)、ジャマ・エル・フナ広場などがあり、狭い路地が網の目のように広がり、スーク(市場)がひしめいている。
 アグノウ門
は王宮の近くにある美しい門。アーチの周囲は、赤と緑の砂岩で馬蹄形や半円形の繰り込み模様で縁取られ、その上の壁にはコーランの詞の装飾文字が刻み込まれている。門の上には数羽のコウノトリが巣作りしていた。メディナは城壁にかこまれ、すべての建物が赤土の日干しレンガで造られ、どこもかしこも赤茶色。建物にバルコニーがあるのはユダヤスタイルで、窓もないのがモロッコスタイルで中に入ると中庭がある。サアード朝の墳墓群庭園の中に墓廟が並び、代々の王たちが眠る。廟には3つの部屋があり、それぞれコーランの一節や幾何学模様の美しい装飾が施されている。バヒーヤ宮殿大邸宅の周囲に広大な庭園をめぐらし、豪華な個室が並んでいる。周囲の建物は、4人の妃と24人の側女達の部屋だった。クトウビア・モスクメディナの西にそびえ建つマラケシュのシンボル。高さ65mの美しいミナレット。現在モスク(イスラム礼拝所)部分は残っていない。ジャマ・エル・フナ広場かって公開死刑場だった「死人の集会場」と呼ばれるこの広場は、夕方は屋台が立ち、蛇使いやアクロバットなどの大道芸人、占い師などが集まる非常に活気のある広場。メナラ庭園12世紀ムワヒド朝時代に造られた庭園。アトラスの雪解け水を満々とたたえた貯水池の周りを、オリーブの林が囲んでいる。池のほとりに建つ離宮は、王様たちの逢引の場所だった。騎馬軍団のファンタジア(気晴らし)ショーで観光客向けのアトラクションとして喚声を上げて馬にまたがって突進するベルベル人の戦士たち。昔の騎馬軍団の戦いの再現をする。

マラケシュ
アグノウ門 メディナ(旧市街)散策
 
サアード朝の墳墓群 バヒーヤ宮殿
クトウビア・モスク ジャマ・エル・フナ広場
メナラ庭園 豪壮な騎馬ショー

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