旅順駅は帝政ロシア時代に建てられた東清鉄道の終着駅で1903年に満鉄がロシア人に建てさせた。旧関東司令部には関東軍の歴史が展示されている。南山は大連北部にある小山で日露戦争初期の激戦地。日本軍の死傷者は4000人を超えた。 203高地は1895年、日清戦争で日本が清に勝利すると、ヨーロッパ列強による中国侵略が本格化。日本とロシアは中国東北部地区の支配権をめぐり日露戦争(1904-1905)が始まり最大の激戦地となった。日本軍が当時世界最強と言われていたロシアから奪い取った高台。水師営会見所は203高地の陥落を受け、1905年1月1日旅順総司令官ステッセル中将から降伏の申込れがあり、旅順での戦闘は終了し、1月5日に乃木将軍とステッセル中将が水師営で会見した。1996年に当時の資料に基づいて再建された。両国代表の集合写真や乃木将軍が読んだ漢詩「爾霊山」を彫りつけた石碑(撮影禁止)などが展示されている。旧市街にある提督府には日清戦争時(1894-1895年)に従軍記者として金州いりした俳人の正岡子規の句碑がある。響水寺は唐の時代からあるお寺。
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旅順駅 | 旧関東軍司令部 |
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南 山 | |
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203高地 (山頂に建つ「爾霊山」と記した記念碑とロシアの砲台) | |
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水師営会見所 | |
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提督府 | |
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響水寺 |
《参考資料》「地球の歩き方」大連瀋陽ハルビン 発行所:株式会社ダイヤモンド・ビッグ社他
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